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アフリカの真珠便り(3-1)

 

 

2010年11月と12月はウガンダ北部に出張しました。11月の4日及び5日はグル県及びキトゥグム県の草の根・人間の安全保障無償資金協力の引き渡しのため、また、12月21日及び22日はアムル県の北部復興支援プロジェクトの引き渡しに出席しました。

 

北部ウガンダを語るときに忘れてはいけないのが約20年にわたって政府軍との戦闘をおこない、住民に対する襲撃・略奪、児童の拉致を行った反政府組織「神の抵抗軍(LRA)」の存在です。「忘れられた戦争」ともいわれ、約180万人に及ぶ国内避難民を抱え戦闘が継続される中で深刻な人道危機状況にあった地がアチョリランドと呼ばれる北部地域です。2006年に和平交渉が開始されましたが、2008年には最終段階で交渉は頓挫しウガンダ国軍による軍事掃討作戦によってもLRAは壊滅に至っていません。LRAは現在ウガンダ国外の周辺国を転々としながら依然として活動を続けていますが、LRAの脅威のなくなった北部地域の状況は安定し避難民の帰還も進んで(約80%)、政府は北部の復旧・復興計画を策定して国際社会からの支援も得ながらその実施に取り組んでいます。

 

北部ウガンダで大多数を占めるナイロテイーク系民族は、南部スーダンから17世紀初頭に流入したとされています。ウガンダの南部とは異なる文化、言語系統及び身体的な特徴を有し、氏族を中心とした共同体による農業生産が社会の基本であったとされています。英国の保護領となってからも商品作物のプランテーション栽培(綿花、コーヒー、紅茶)などによって発展する中・南部に対して北部は経済発展が遅れ主として中・南部への単純労働力の供給地として機能しました。保護領政府によって徴兵された軍人は北部出身者が多く、これが独立後の現在も続く「文民の南部、軍人の北部」という社会構造の基礎とされています。このような社会的な背景の中でジョセフ・コニー(グル県生まれ)を指導者とするLRAは、北部ウガンダで約25,000人にのぼる児童を拉致し、殺戮などの残虐行為を強要したり、故郷の村の襲撃に少年兵として参加さるなどしたため北部の人口の90%に及ぶ180万人もの人々が国内避難民とならざるを得ませんでした。20年間にわたる戦闘によりそれまで生活していた地域へ通じる道路や橋、井戸、学校や保健所も破壊してしまいました。

私が11月及び12月に引き渡しを行ったプロジェクトはいずれもこのような背景の中で北部地域の復旧・復興の一環として支援を行っているものです。


建設された図書館の前にてさて、11月の草の根・人間の安全保障無償資金プロジェクトですが4日は、アウレ中高等学校施設整備計画で北部の拠点都市であるグル市から東に80KMに位置するウガンダ国教会を設立母体とする政府支援校で生徒数は1,031名教師は41名の学校です。ここはLRAの指導者であるジョセフコニーが生まれたところであり、生徒の中にはLRAに誘拐された経験を持つ者もいます。また、ここは、政府軍とLRAの戦闘が最も激しかった地域の一つであり、2001年に学校はグル県の県庁所在地であるグル市へ避難し、しばらく仮設校舎で授業を行っていましたが、国際NGO(Invisible Children:英国のNGO) などが教室の整備を行い2010年の新学年からこの地に再び戻って授業が再開されています。日本の支援は図書室棟を建設し、同校が所有するパソコンを授業に有効活用するために内部にコンピューター室を設置するもので供与額は59,552ドルです。グル市内から未舗装の道を約1時間半道の両側は2メートルにもなる草木が生い茂っています。途中、所々に新たに建設された小学校や中学校が見受けられます。EUやUSAIDといった看板が目に飛び込んできます。この辺り一帯の学校の整備は各国が集中的に取り組んでいるところです。学校にはすでにグル県知事以下両親や生徒が待ちかまえています。みんなこの日を待ち望んでいたように喜んでくれました。校長先生の案内で広い学校の構内を見て回りましたが生徒の両親たちが資金を出し合って建てた教室(机も椅子もなく20名程度の生徒が土の上に座って授業をうけていたとのことです)も見せていただきました。戦闘が激しかったときにも子供たちだけは学校に通わせたいとの一念だったと説明してくれました。戦闘がやみ、故郷に帰り学校に通えるようになったと言っても子供たちの表情はどこか暗さが見受けられます。悲惨な過去の状況から立ち直るにはまだ時間が必要と感じました。


ラビロ小学校の生徒達5日にはグルから更に北に約100km、約3時間のスーダンとの国境を接するキトゥグム県の小学校5校に各4教室及び教員室、倉庫、生徒用机、教員用家具を整備することによって1,538名の生徒の学習環境を整備するプロジェクトに合計200,714ドルを供与するもので被供与団体はキトゥグム県政府です。北部アチョリ地域と呼ばれるこの地域一帯は、治安上の理由から国内避難民の帰還が最も遅れている地域で人々の生活の立て直しに未だ困難に直面しているところです。インフラの整備も大幅に遅れていて小学校も教室がなく木陰を利用して授業を行っている学校が数多く存在しています。この地域は他の地域に比べて乾燥していて気温も高めです。土埃を上げて車が会場のラビロ小学校に到着しました。この地域の出身であるオケロ・オリエム外務省国際担当国務大臣やキトゥグム県知事、生徒、先生、両親など多くの地域の人々が出迎えてくれました。裸足のままの女性や子供が近くの水場からプラスチックの容器に水を汲みその容器を頭に乗せて行き交っています。まだまだ貧しさを実感させられる光景です。それでも、学校が出来、子供たちを通わせ勉強させることが出来る喜びを口々に語ってくれました。これからの復旧・復興の一筋の光を子供たちの将来のために学校という学びの場を通じて始めたいとのこの地域の人々の思いを感ずることが出来ました。

 

 

2011年1月

加藤 圭一


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